彩の録

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知床遊覧船 KAZU 1の事故の件

「荒れる予報が出ていたのになんで出航したんだ」というのは事故のひとつの原因に過ぎない。

この大惨事は、いくつものセーフティネットが破れた状態でも運航を続けたから起こった経営者はいくつもの間違いを重ねているから、事故が起こり、被害が重くなった。それをこの期に及んで罪も民事責任も逃れようとつまらない言いわけを続けているようだ。そもそも損害保険でさえも、重過失や善管注意義務違反が露骨なこの事故だとカバーしてくれるかさえも疑わしいと思う。

 

事務所の無線アンテナが壊れたまま運航したことも問題外だ。平時の報告連絡相談にも使うだろう無線が、使えないのは話にならない

しかもその状態で、緊急時の連絡手段でもある衛星電話が壊れていたという。知床半島のほとんどは人が住んでおらず開発が規制されているから、携帯電話がほとんど通じないのは当然のことだ。事故時にも、乗客の携帯電話を借りてやっと通じたそうだから、一部キャリアや世代(3Gとか)しか電波がないのだろう。

 

船長の技能や経験が未熟だったのも、事故原因だ。この船長は、内海での操縦経験は前職であったそうだ。けれど、外洋に出るとなれば話が違う。しかも、オホーツク海は大気が寒くて天気が急変しやすい。低気圧が急発達して台風並みの爆弾低気圧になるのも珍しくないくらいだ。運行する海域の経験は重要だ。

船舶は、自家用車ほどの大量生産品ではない。件の船は、たくさん市販されているモーターボートでもないし、しかも瀬戸内海で走るための小型軽量船舶だったという。船長は、実際に操縦する船の特性を熟知していないといけない。この船がオホーツク海には力不足だということを承知のうえで運航計画をたてないといけない。

なのに、この会社の経営者は、意に沿わないベテラン達と仲違いして、無理に運行してくれる船長だけ残ったらしい。

この船長はきっと、真面目でお人好しだったのだろう。それで、最後に残って、ブラック企業でも辞めるわけにはいかなくなったのではないか。自分がいなくなったら替わりがいない。社長の意向に沿って、会社の責任を肩代わりしつづけてきたといえる。

 

予報が荒れる見込みであれば、欠航にするか、荒れる予想時間帯よりもかなり余裕をもって帰港する運航計画でないといけない。時間に余裕をもって帰れれば、遅れた際にも助かる「あそび」がある。つまり、無理のない運行計画もいわばセーフティーネットである。

同業他社も漁船等も出航していないで一社だけ出航するというのに、遠く知床岬まで行って孤立する運航計画も、無理がある。しかも無線や衛星電話が壊れたままだったというのだから、問題外だ。

そして、事故時には海が荒れて、遭難者を拾い上げるどころか助けに行くのも無理だというくらいだったのだから、助からない。海が荒れていなければ近くの船舶が助けてくれるのが普通だが、当時はそもそも出港不可能なくらい荒れていた。

 

業界のプロ経営者であればありえないような間違えをいくつも重ねていたから、大惨事が起こった。出航判断が適切だったかどうかという問題だけではないのだ。

 

 

そして思うのだけれど、あべ晋三・黒田時代の、バラマキを続けたいわゆる「異次元の金融緩和」は、お金が余って株価を釣り上げたけれど、実体経済は悪いから、不労所得と転売屋が横行した。金融機関は貸す相手を探して、ブームになっているバブルな業界に押し貸しし続けた。そのひとつが観光産業だ。(ちなみにいまの円安とインフレも、あべ自民党と黒田日銀によるバラマキが主因。)

知床遊覧船を買収した社長は、宿泊施設の経営を受け継いで、そこから手広く事業を拡げていったそうだ。資金を借りて事業を拡大し多角化していったのだろう。それで、旅客運送という特に安全第一の業界でも、採算重視で、顧客の要求におもねる経営をしていたのだろう。いや、本業の宿泊施設でさえも防災体制がなっていたかも疑わしいので、はたけば「ホコリ」が出てきそうな気がする。

この事故は直接的にはこの社長の知能と思想の問題なのだけれど、本質的には日本の国家・社会的な病みと闇があるのだと思う。この社長もいわば「転売屋」とおなじたぐいなのである。