彩の録

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ロシア正教会に傾倒するプーチン

プーチンの健康状態が疑われている。けれど、まずハッキリしているのはプーチンロシア正教会と癒着していてロシア正教会の意向に沿った思考、発言、行動をとっていること。

 

現代のプロテスタンティズムの欧米では政教分離が一般的だけど、世界的にみると政教分離は普遍的ではない。プロテスタントが出たのはカトリック世界だ。イスラームどころか、オーソドックス(東ローマ系キリスト教)も、カトリックとは異なる世界だ。

そして、ロシア世界も封建的で、現在のプーチンが「敬虔で熱心な」ロシア正教会の教徒となっていると思われる。彼が「狂った」ようになって合理的な判断能力が疑わしい一因は、ロシア正教会に傾倒してカルト信者化したことにあるだろう。

 

ウクライナはいわば、カルトから脱会したとか、DV夫から逃げ出したような立場にある。だからウクライナ人がプーチンに降伏しないわけである。プーチンのところに戻ったら生き地獄だ。

 

ウクライナがぬけたことに、ロシア正教会は激怒している。ロシア正教会は、自分が世界の頂点だと思っているだろうし、ロシア世界からウクライナが出ていくことは間違いだと考えている。おそらく資金的にも困ることもあるかもしれない。

 

プーチンは、以前はもっと合理的な行動をとるヤツだった。しかし、エグいことをし続けた人生と、いま老いて心身が衰えて死期を自覚したいま、ロシア正教会に傾倒していったのだろう。

 

封建的で宗教的な世界観なのだから、宗教社会体制が絶対で、個人はそのしもべで相対的なものでしかない。

プーチンは、ウクライナを奪還するか、さもなくば滅ぼす気だろう。

いわゆる人道回廊というのも、ロシアのしもべを逃がすためのものだ。だから、ロシアやベラルーシへの避難経路を提示していた。つまり、ロシア派を逃がしたあとで街を潰すのが狙いなのだろう。

いま、キーウをロシア軍が包囲しているが、それは単に威圧して降伏させようと思っているだけではない。言いなりにならなければキエフを破壊し尽くして市街戦で殺戮することも想定しているだろう。最悪の可能性としては、キーウに核兵器をつかうことだ。

 

3/20追加: ロイターに、ロシア正教会と今回の戦争に関して記事が出たので、張っとく

 

jp.reuters.com

 

プーチンの論理

プーチンは、東洋的な封建的な世界観をもっている。人間関係は上下関係でみている。

プーチンの世界観、認知からすれば、
ウクライナは、ヨーロッパにたぶらかされ、ロシア一家をぬけるといっている。
ゼレンスキーはヨーロッパの手先でありヨーロッパと癒着して腐敗している」
となる。

プーチン原発にこだわるのも、
「核技術はソ連ウクライナに貸してやったものなんだから、返せやこの野郎」
ということだろう。
ウクライナがヨーロッパに行くのに手土産にされてたまるか」
ということだろう

 

東洋的な、封建的な発想というのは典型的には、暴力団や右翼の世界に反映されている。昔からある中国文化(儒教の慣習)が一例だし、ヨーロッパでも中世は普通にそうだったのよ(それで、その封建社会からドロップアウトした世界が例えば「自由都市」なわけだから)。

 

プーチンとしては、
ウクライナは、ロシア一家からぬけると言っているが、借りを返さないで、恩を仇で返している」
「今までの恩義を返さないのなら、ロシア一家からぬけることは認めない」
ウクライナはヨーロッパにたぶらかされているのだ。だから頭を殴って目を覚まさせてやる」
ということ。

プーチンのやっていることは、
足を洗いたい組員に対して「ぬけるんならカネ払え」っていう暴力団とか、
脱会すると言っている信者に対して殴り込みをかけて折伏しようとするカルトとかと同じ。

そして、そういう世界観、価値観、思想が、プーチンにとっては普通のこと。

だから、プーチンの世界は
人間関係を対等に扱ったり、
人の尊厳が国家権力と関係なく生まれながらに存在するものだと考えたり、
人には自己決定権が備わっていて自分のことは自分で管理するものだと考えたり(自己統治、デモクラシー)する、
現代の欧米的な世界観、価値観、思想とは、異質なものだ。

 

ドイツのアンゲラメルケル姉さん(首相だった人)は、東洋の封建的な発想を、共感はしなかっただろうけれど、よく知ってはいた。
ロシア語ペラペラなメルケル姉さんは、プーチンと話し込んでやりあったし、それでプーチンの認知が、現代欧米人の認知と全く異質であることにも気がついていた。
メルケル姉さんは、ドイツに中国共産党が訪ねたときにも、上座に座らせてもてなした。

 

日本は東洋の中国的で儒教的な封建思想が根強いので、長幼の序とか年功序列とか男尊女卑とかあって、ビジネスマナーも儒教的な慣習が根深く、例えば上座・下座は会議や宴会どころか自動車やエスカレータの乗り方にまである😂

 

昔ながらの封建思想が根強いところに、形式だけ欧米の真似をとりいれたところで、本質は治らない。例えば「和魂洋才」とかいうのもそういうことだ。
日本人にとって、日本は近代に欧米一家の仲間入りをして、戦争に破れて米国の飼い犬になり、政治経済もアメリカナイズした、ということにすぎない。
安倍晋三くんをはじめ日本人の世界観は封建的なもので、社会全体を優先させる全体主義だ。
安倍晋三くんはプーチンには勝てない。ロシアは米国と並んでいる大国で、米国の手下の日本にはやりあえない。
沖縄を米軍が占拠しているのに、プーチン北方領土をくれてやるわけがない。それは、ヤクザのパワーバランスの世界なんだから。
ドナルド・トランプも同じような発想の人間だったから、人間は上下関係で、マウントをとりにいこうとするし、利害が対立するとじゃれ合って決着をつける。

 

いまプーチンに同情的な国は、プーチンの封建的思想と一致している国が中心だ。
現代の欧米的な国家観では、主権国家、自己決定・自己統治(デモクラシー)は、あまりにも当然の前提なので、プーチンとは世界観、認知の時点で異なっている。だからいま、ロシアはほとんど孤立している。

そして、プーチンの世界観、事実認知、理屈を根本的に理解ができない人が多い。いまの日本人であれ、欧米人であれ、プーチンの思考行動パターンを理解する人は限られている。

 

ドナルド・トランプの世界ならプーチンは暴れなかった

プーチンドナルド・トランプ安倍晋三らの発想は、ヤクザと共通している。封建主義で、支配体制の構造がさきにありき。上下関係(階級差別)で社会が成り立っていて、親分子分、兄貴・弟の世の中だ。ライバルとは勢力均衡(パワーバランス)で成り立っていて、互いの「シマ」は侵さないことで共存する世界だ。

 

バラック・オバマアンゲラ・メルケルはそうではない。

近現代の欧米はプロテスタンティズムの世界だ。人は公平に扱われるべきで、自己決定の自治(デモクラシー)だ。人間は進歩(成長)する。世の中は革新される。パワーバランスではなくて理念だ。条理の世界だ。コモンローなのだ。

 

中世的なカトリックやオーソドックス(正教会)は違う。元来は政教一致で、支配構造ありきの全体主義だ。イスラームや、儒教国家神道などの中国的な右翼)も同様。中国共産党も、封建思想禁止のはずが、しっかり儒教的で体制優先の全体主義国家だ。

 

トランプ米国は弱くなった。アベとトランプの世界では、プーチンにも余裕もあった。

ジョー・バイデンカトリックなので大統領になれた(トランプ票を奪えた)のではあるが、民主党はデモクラシーだ。米国は息を吹き返したからこそ、プーチンが危機感に脅えた。

 

アンゲラ・メルケルがいたらロシア語会話は成り立っただろうけど、メルケル姉さんとプーチンじじいではやはり発想が異なる(メルケル先生は革新的だ)ので、この二人はやっぱり現役時代もすれ違いだったらしい。議論は長々とやり合うけど、根本的な世界観が違った。

 

日本も封建的な全体主義国家だ。親分が欧米になり、資本主義の私有財産制の世界だから、米国の子分としてふさわしく振る舞っているだけ。

 

プーチンの誤算

プーチンは、威圧すればゼレンスキーが逃げ出すと思っていた。ゼレンスキーが逃げ出したところで、ウクライナ国民が「ほら、信用できるのはヨーロッパではなくてロシアだ」ということになると見込んでいた。ウクライナがすぐにロシアの傘下になると思っていた。

なので、「軍事作戦」の当初は、ウクライナのインフラをなるべく温存して攻撃しなかったのだろう。兵力で威圧しゼレンスキーが逃げたら、この大軍はウクライナ制圧後の治安部隊になるので練度が低くてもかまわない。

ところが、ゼレンスキーは逃げ出さなかった。むしろ、ウクライナ国民は民度が高くてロシアに抵抗した。

なので、制空権をとりそびれたままで、ウクライナにてこずっている間に不用意にNATOと開戦する事態を避けたいから、隣のポーランドを刺激するのを避けるために西へ攻められない。

 

ウクライナから手を引けばいいのだけれど、プーチンはもう失敗を認めるわけにはいかないだろう。国内に撒き散らしたデマゴーグを片付けきれるとは思えない。

となるともう、ウクライナのことはうやむやにしてポーランドあたりに転進して大戦争を始める可能性がある。そのときは、戦術核ミサイルくらいは使う可能性も否定しきれない。

 

 

プーチンのウクライナ戦争のカギは、化石燃料(二酸化炭素)と従来型兵器

地球はすでに、二酸化炭素をこれ以上出してはいけない状態にある。化石燃料を燃やせない。

産油国は抵抗して原油を出し渋ってキレている。世界最大の自動車輸出国の日本も二酸化炭素排出停止を渋ってきた抵抗勢力だ。

 

石油が燃やせなければ、従来型の兵器は使えない。戦車も使えない。戦争のありかたが変わるというか、従来型の大規模戦争の時代が終わってきている。

プーチンにとって、ヨーロッパに「リベンジ」して覇権を取り戻す最後の機会なのだろう。KGBの亡霊だ。

 

いままで二酸化炭素出しまくって世界各国の二酸化炭素排出を「輸入」してきた中国は、先鞭をつけて二酸化炭素排出削減を打ち出した。米国は対抗し、日本も米国にぶら下がった。

中国共産党はおそらく、ロシアが欧米に勝てるとは思っていない。あわよくば相討ちだろうが、せいぜい、双方が弱体化することを想定しているだろうと思う。
ウクライナ戦争はさながら日中戦争のような状態になっている。現地の人々に歓迎されず抵抗を受ければ、軍事制圧しても統治していけない。
中国共産党は、台湾を軍事制圧しても統治がままならないと思っているのではないか。軍事侵攻ではなくて、思想的にじわじわと絡め取っていく戦略を採るのではないだろうか。

 

ロシアは世界有数の化石燃料産出国だ。
産油国や地球環境破壊ビジネスをやっているところには、プーチンに同調的なのが少なくない。UAEにせよ、ブラジルのボルソナーロにせよ。

 

ロシア国内は「大本営発表」の状態だ。このままウクライナ戦争が長期化してうまくいかなければ、プーチンはヨーロッパに戦争をしかけ、NATOに攻撃される状況をつくってロシア人の求心力を図ろうとするかもしれない。そうすれば太平洋戦争のときの日本のようになる。

 

「気候変動」に関する致命的な誤解

深刻なのは、地球の気温の上昇🔥よりも、水による気象・海象の災害🌪️のほうだっていうこと。

 

水のほうが空気よりも熱を蓄えやすい。気温より海水温のほうがとっくに熱くなっている。

しかも水の三態変化によって熱を、吸収・放出することで、地球上の熱平衡が保たれている。

 

極氷や氷河🏔️、永久凍土がとけたり、海水🌊が蒸発したりすることで、熱を吸収している。

そして、冷たい上空で熱を放出して氷晶❄️になって、それが地表に降ることで地表を冷やしている。☔

しかも地球が熱いほど、氷は減り、大気の飽和蒸気圧は高くなり絶対湿度があがる。

 

つまり、豪雨⛈️や大雪⛄などの災害を、日本人🇯🇵を含む人類がつくりだしている。爆弾低気圧も、南岸低気圧の大雪も、日本人がつくりだしている。

この冬に札幌で起こった、湿った重雪の大雪も、石狩湾の水温が高すぎることが原因になっている。

 

地球は精一杯、熱平衡を保とうとしてくれている。

人類は自分が悪いのに、災害を迷惑がっている。

人類は地球の癌だ。

 

海洋のほうが温度上昇で生態系が崩壊した。なので漁業が崩壊した。

 

これから災害が増える。

しかし例えば除雪にしても石油に依存していて、新たな策がない。

 

すでに詰んでいる  😇

宮型霊柩車が少なくなった理由

 

 

簡単にいえば、葬式の目的が変わったから。

 

昭和時代からある迷信に「霊柩車を見たら親指を隠せ」というものがある。同じように救急車でもそういう迷信がある。なぜ親指を隠すのか? それは「親をとられないようにするため」だという。

日本は儒教社会で、いいかえれば封建社会世襲制社会だ。長男が父親を継ぐ。親孝行をしなければならない。生は絶対善で、死は悪。自殺は絶対悪。親より先に死ぬのは悪。子孫繁栄が善で、子がいないのは悪。

 

儒教社会では葬式の目的は、故人の後継者の正統性を世間に示すこと。スムーズな権力移行のため。ピラミッドや古墳と同じように。だから、たいそう立派な葬式をやって、多くの参列者を集める。喪主は、ド派手な祭壇をしつらえて、格のある寺院から「導師」を呼んで沢山「包んで」ゴツい戒名をもらう。葬式は沢山お金をかけるのがよくて、参列者からの香典を集めてまかなう。逆にいえば、香典をさしだすことは後継者を承認することを意味する。

大きな会場でとりおこなう。霊柩車も葬式のセットの一つだ。祭壇とおなじで、立派な造作をあつらえた車がよく、会場近隣にも見せつけることになる。

 

しかしいまの社会状況はそうではない。

日本の人口は増え、いまや高齢者人口が多い。時代の変化は速くなって、家業を継ぐことは減った。会社員のように資本をもたない職業の人が増えた。

子孫の数は減った。核家族化した。交流の深い親類の人数が少ない。

故人も子も高齢者が多い。遺族も、自分が死んだときの葬式について考えるようになった。「自分が死んだときに迷惑をかけたくない」と思うようになった。また、大々的な葬式で自分が見せものにされるのはイヤだと思う人も多いだろう。派手な葬式をやっても採算はとれない。参列者も香典もたかがしれている。だから「ベルコ」みたいに、廉価で金額が明瞭で、あらかじめ資金を積み立てておくようなのが増えた。

いまの日本では、人の死は日常的だ。人はいずれ死ぬ。しかも死ぬ人が多い。「死」について考えることから逃れられない時代だ。

そうすると葬式の目的が、世間さまに見せつけることではなく、遺族のグリーフケア、死の意義をみいだすレジリエンスになった。いわゆる家族葬のような、小規模で静かな葬式のニーズが高まった。

派手な祭壇も霊柩車も要らない。「導師」が果たすべき務めは、権力移行に「箔をつける」ことではなくて、遺族の癒やし、カウンセリングになってくる。さらには、宗教者ではなく医療関係者が求められてくるかもしれない。

 

日本人は「無宗教」といったところで、昔ならば何でもかんでもよさそうなものを寄せ集める、いわば多宗教・無節操だった。いまは、いかにコストパフォーマンスを高めコンパクトにするか、宗教の意味が問い直されている。